南極:昭和基地



 
SYOWA STATION

Japan's Syowa station was established by the first Japanese Antarctic Research Expedition (JARE 1) in 1956-1957. It is built on the northern coast of East Ongul Island, which is separated from the continent by Ongul Strait. The central building is a three-story structure housing the dining room, medical suite, station manager's quaters, bar and games area. It is topped by a domed skylight over a central stairway.

The season after it was built, Syowa could not be staffed because pack ice prevented the relief ship Soya from approaching. Helicopters were used to ferry the previous year's overwinterers and their equipment to the ship, but due to a lack of space of them, 15 of the station's sledge dogs were left to fend for themselves when the last helicopter flew off the station on February 11, 1958. Why they were not shot, as would have been more humane, is not clear now. When JARE III returned in January 1959, just two dogs, Taro and Jiro, were alive. They became famous in Japan, and a film made about their story, Koreyoshi Kurahara's Antarctica, was the country's biggest movie in 1984.

Quoted from P.328-329, "Antarctica", Jeff Rubin, Lonely Planet, Australia, 1996.

昭和基地

日本の昭和基地は、1956年から翌年にかけての第一次南極観測隊の手によって、南極大陸からオングル海峡を隔てた東オングル島に建設された。管理棟は三階建てで、食堂、診療所、本部、バー、娯楽室などが置かれている。中央階段の上にはドーム状の天窓がある。

第二次観測では、物資を運んできた砕氷船・宗谷が浮氷に阻まれて基地に到着できなくなったため、いったん基地を放棄することになった。前年から越冬していた隊員と機材はヘリコプターで宗谷に運ばれた。しかしスペース不足のため、1958年2月11日、最後のヘリコプターが基地を飛び立ったとき、15匹のソリ犬は置き去りにされてしまった。なぜ犬たちを射殺しなかったのか(その方が、まだ人道的なのに)、今となってはその理由はわからない。1959年、第三次観測隊が南極に到着したとき、タロとジロの2匹だけが生き残っていた。この2匹は日本中で大きな話題になった。この物語を映画化した蔵原惟繕監督の「南極物語」は、1984年の日本最大のヒット作となった。

(訳:ピンキィ君の夫)

南極のガイドブックがあるなんざぁ、さすがオーストラリア。

もし、『地球の歩き方 南極』なんてのができて、南極大陸で日本人貧乏旅行者が行き当たりばったりの旅をし始めたら、すごいことになるなぁ。『〇〇基地の隊員の△△さんは、とってもフレンドリーで、めったに食べられないペンギンのから揚げをご馳走してくれた。近くに行った際は尋ねてみれば』とか書いてあるのを信じて行ったら、『そんな奴いない(交代制だものね)。観測の邪魔になるからさっさと出て行ってくれ』と言われて、呆然自失の若者が基地の周りをうろうろしてたりして。

最近は犬、連れてってないんですよね、少なくとも昭和基地には。その代わりに、モヒカン頭の博士(ビジュアル的には、まんま、マッドサイエンティストですね)とか、バニーガール姿の男性自衛官とかが生息しているらしいんですが(全然関係ないんですが、このあいだ見ていたテレビで、インタビューの場面に出てきた『〇〇二尉 物理学博士』というキャプションを見て、なんか悪の匂いを感じちゃいました。頑張れ自衛隊。メーサー砲まであとわずかだ)。

人道的と言われてもなあ。『あんなところに繋ぎっぱなし(南極の生態系を守るためでしたっけ)じゃ、死ぬのを待つだけ。そんな思いをさせるなら、いっそひと思いに殺してやった方がいい』って? う〜ん、射殺と凍死(餓死)とどちらがいいって言われたら、私だったら凍死のほうがまだいいような気がします。可能性がある限りはじたばた生きたい方なんで、私。それに結果的に2匹は生き残ったんだから、『殺さなくてよかった』と思っちゃうんですが、だめですか?

ひとくちに動物愛護といっても、実はいろいろな基準(?)があるらしいんですが、南極動物物語で一番無茶だと思ったのが、動物愛護の本家・イギリスのスコット隊。何を考えてか、南極に馬連れてったんです。で、馬は死んで(これは安楽死だったか不明)しまって、最後には人間がそりを引くことになるのですが、隊員達が死にかかっても安楽死させてません。動物愛護の基準が『人間であるところの自分が、もしその動物だったら』で、かつ、犬の安楽死が人道的だというんなら、この場合の人の安楽死も人道的だったのではないだろうか、とか思うんですがどうでしょう。スコット隊の人々も『一番乗りの名誉』っていう名の鎖で繋がれてたようなもんですしね。

あんまりごちゃごちゃ言っていると、動物愛護家の方にねじ込まれるかもしれないからやめとこっと。

小学生の頃によく給食に出てきた鯨の竜田揚げを『うまかったよなぁ。おかわりしたかったよなぁ』と思い出す時点で、私、動物愛護家の方の敵なんで(トドカレーも買っちゃったし、黒マグロの大トロも一度食べてみたいし)。

とりあえず、現在の昭和基地の現実の一端(あくまでも一端)を知りたい方は『不肖・宮嶋 南極観測隊ニ同行ス』(新潮社)を是非お読みください。


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