日本の歩き方

原宿


Harajuku

After WWII, many of the Occupation personnel lived in Harajuku in an area called Washington Heights, and many of the shops along Meiji-dori and Omotesando-dori avenues, the main drags, catered to foreign tastes and still do. But today, the emphasis has shifted to the tastes of Tokyo's affluent teenagers and young adults who flock to the area to see and be seen, and more importantly to spend their parents' hard-earned money on the newest craze! The takenoko-zoku (bamboo-sprout gangs), and the boso-zoku (hot-rod gangs) are two groups that use the Harajuku area as a weekend rendezvous, especially on Sunday afternoons, when certain streets are blocked off. You can see seemingly lobotomized takenoko-zoku sporting outlandish costumes and gyrating in coordinated formation in Yoyogi Koen, while the boso-zoku, Elvis clones with slicked-back hair, blast through on flashy motorcycles or in chopped hot rods, making an ungodly din by burning rubber and bleating their ooogah horns. .

Quoted from p.199, "JAPAN HANDBOOK, Second Edition", J.D.Bisignani, MOON Publication Inc., USA, 1993.

原宿

第二次世界大戦後、原宿のワシントンハイツと呼ばれる場所に多くの進駐軍関係者が住んだこともあり、明治通りや表参道には外国人向けの店が多く立ち並んでいる。しかし最近では、この場所の主導権は小金を握った若者達の手に移ってしまった。彼らが原宿に群れ集う目的は、何かを見ること、自分が見られること、そして何より、親が一生懸命に稼いだお金を最新流行に費すことにある。毎週末、特に歩行者天国になる日曜午後には、竹の子族と暴走族が原宿に集結する。竹の子族は代々木公園で、風変わりなコスチュームをひらひらさせながら、まるでロボトミー手術を受けたように全員が同じ踊りをくるくると舞っている。オールバックでプレスリーを気取っている暴走族は、ピカピカのチョッパーバイクの爆音を響かせたり、タイヤをきしませたり、けたたましいクラクションを鳴らしたりしている。

(訳:ピンキィ君の夫)

今はなき竹の子族(ホコ天も廃止になっちゃったし)。ロボトミー手術とは凄い表現。確かに彼らも脳みそ削って踊っているようなところがありましたが。かの手塚治虫の「ブラックジャック」で、ロボトミー手術肯定のエピソードが単行本から削除されちゃったのは有名な話。残念ながら竹の子族の実物は見たことがありませんが、私が以前勤めていた会社(運動会に力を入れるので有名な某メーカー)では、私が入社する前の年の運動会の応援合戦は「竹の子族」だったそうです。ちょっとかっこいい男の先輩が、あれを踊ったと聞いた時のショックといったら... でも、入社した年の運動会でフラダンスを踊らされたのに比べたら、竹の子族なんてなんでもなかったか。

田舎者か都会人か判断する基準の一つに、「修学旅行で東京に行ったかどうか」というのがあるんだそうです。同じ年代の元同僚達の中で、東京へ修学旅行に来たことのある子は、9割ぐらいの確率で原宿へ行っています。残りの1割は「原宿には不良がたくさんいる」という民間伝承を信じた子か、「秋葉原(もしくは神田)に行った」という子でした。

上で「暴走族」と呼んでいるのは、本当はいわゆる「フィフティーズ」なんでしょうね。私の実家の近くには国道246号という、暴走族のメッカ(私が高校生当時)ともいえる道路がありまして、族はその国道にのって青山に上京したり、平塚方面にそれて「海を見に行って」いたりしました。よく歩道橋に「相模連合」とか書いてあったな。土日ともなると、沿道に見物人が鈴なりになって、意外な場所で中学校の同窓会が開けたりしたものです。あの頃は、より過激な「ハコ乗り」を追求する族の手によって、小田急線の吊革がよく盗まれていましたっけ。


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