紐育外電バックナンバー
(2001年10月〜12月)
山中特派員、からだ張ってます。いや、それより汚れた下着を触んなきゃいけなかった警備員が気の毒かも。この記事のせいで、空港へ行く度に『ミスター・ヤマナカ、別室へどうぞ』とわざとゆっくり調べられて目的の便に乗れなくなるという嫌がらせを受けるかも。
このレーガン・ナショナル空港、建物は小さいのですが、ワシントンDCのもう一つの空港・ダレス国際空港よりおみやげ物が充実して好きな空港でした。FBIやSWATの縫い取りのあるキャップとか、『未来の大統領』とかかれたスタイ(よだれかけ)とか。今、商売の方はどうなってるのだろうかと心配です。
それより山中さん、ビューラー(まつげカーラー)とかヘアクリップとか普段使ってらっしゃるんですか? 実は山中さん、『ここだけのふたり』に出てきていたオホホのおばさんの旦那さんみたいにまつげが長くてビューラーを使わないとまつげが持ち上がらなくて視界が悪いとか?
それとビューラーとヘアクリップは武器としてどうやって使うことを想定して持ち込まれたのでしょうか? いっそ、空港警備会社の重役に『必殺シリーズ』のビデオを送りつけて、『どう思われるか』と注意を喚起してみてはいかがでしょうか。日本人の身体検査が厳重になること請け合いです。
で、やっぱり押収された品物の代金1245円は取材費として落ちるのでしょうか?
スターバックスで、すかしてコーヒー飲んでる日本人ピーンチ。下手すると標的だぁ。そういえばピッツバーグに住んでいた頃に遊びに行ったニューヨークでもワシントンDCでもオーランドでも、NHLのピッツバーグ・ペンギンズやNFLのピッツバーグ・スティーラーズの黒と黄色のウィンドブレーカーやトレーナーを着たピッツバーグ市民らしき人を必ず見かけたものです(ピッツバーグ・パイレーツは人気がないようで滅多に見かけませんでしたが)。彼らを見かけるたびに『うわぁ、ピッツバーグ市民だよ』とか思ってました。
次に多かったのがグリーンベイ・パッカーズ(4年ほど前当時)。思い入れの激しい市民ほど着込むようです。
あと、大学の名前の入ったトレーナーはその大学を卒業または在学中の人が着るものらしいです(東大の関係者じゃない人が東大のトレーナーを着てたら、おかしく見えるようなものでしょうか)。なのでUCLAブーム(若い人は知らないかも知れませんがそういうブームがあったんですよ)の頃、アメリカ人は日本の若者を見て『どういうつもりだ、あれ』と思っていたようです。
ところで、海外では『日本人は馬鹿だ。ウェストポーチなんか下げて貴重品のありかを教えてるようなものだ。ウェストポーチをしているのは日本人だけだ』と言われている(もちろんアメリカでも)と聞いていたのに、渡米して空港に降り立った途端、巨大な腹の下にウェストポーチをぶら下げた人々が空港内をウロウロしているのを見て、『おいっ、こいつらみんな日本人なのか? えっ、おい!』と思った覚えがあります。
でも思い直して『きっと貴重品は入ってないのよね、アメリカ人は危機管理が出来てる人たちだから』と見ていると、財布やら航空券やら出てくる出てくる(特におばさん。あと向こうのおばさんはなぜかポシェットをよくさげてます。多分財布代わり)。『なんか、だまされたぁ』と思ったものです。
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南方の帝国陸海軍の将校さんたちが、米軍から押収した『風と共に去りぬ』や『白雪姫』を観て『こんな映画を作ることが出来る国には勝てっこない』と密かに思った(戦後これらの映画を見た一般人も口々に『こんな国に戦争しかけたんかい俺ら〜』と絶句したらしい)ほどのアメリカも、実は当時こんなことをしていたとは。まぁ、同じ頃の日本の供出物資、例えば犬(→肉の缶詰や毛皮に。今だったらハムスターなんかも供出させられるかも)、鐘や銅像などの金属(→砲弾などの武器に)、松(→航空燃料に)などの切羽詰った悲壮なものではなくて、『戦勝祈願』程度のものだったのでしょうが。
『肉無し金曜日』は、『ま、肉じゃなかったらいいんだから、魚ならいいんでしょ』というところでしょうか、それとも、アメリカ人にとって『魚を食べる』って拷問に近いものなのか?
それと、ガードルのゴムひもは何に使ったのでしょうね。 確かにゴムの生産地の南方は日本軍が押えてたのでゴムは不足していたのでしょうが、当時のガードルのゴムは無茶苦茶太かったのでしょうか? それともそのまま戦闘服のゴムひもとして流用されたのでしょうか? ピンナップガールが大活躍した戦地で『戦闘服のゴムひもがガードルのゴムひも』と知ったら、兵隊さんたちの士気は上がったのでしょうか、それとも下がったのでしょうか?