アサノ氏の真実
映画 "A Majority of One" 撮影秘話
The picture above was captured from a movie "A Majority of One", Warner Bros., 1961, USA, and the picture is quoted in order only to help readers to understand my thought on difficulty of mutual understandings among different cultures. I believe that my way of quotation in this page is proper and reasonable.
『その40:おしぼり実践編』と、『写真館USA』の『オビワンただいま修行中』でご紹介したアメリカ映画 "A Majority of One"。日本人アサノ氏を演じたアレック・ギネス(『スターウォーズ』のオビワン・ケノビ)の顔や日本語セリフはかなりヘンです。アサノ邸の使用人役で共演していたジョージ・タケイ(『スタートレック』のヒカル・スールー)の自伝に、そのあたりのことが書いてありました。
I had just stepped
out of the dark of the soundstage into the bright California sun. As I
stood squinting, a big, black car drove up. The back door opened, and out
stepped a slim, middle=aged man with a strong aquiline nose. Around his
neck he wore a fringe of tissue papers tucked under his collar to protect
it from the fresh makeup. It was Alec Guinness. I stepped back and hefted
the heavy soundstage door open for him.
"Good morning, Mr. Guinness", I greeted him. "Good morning. Thank you so much," he said, and nodded in an exaggerated Japanese manner as he walked past me. He was attempting to get in character, I thought. But what I saw shocked me. Delicately stretched over his eyes were thin pieces of latex membrane. It was done skillfully. It was smooth and tight. But it made the eyes look cold, sinister, almost reptilian. It was grotesquely offensive, and he was supposed to be the sympathetic "hero" of this comedy. I went up to the assistant director to ask if something might be done about Mr. Guinness's so-called Japanese makeup, and therefore nothing could be done about it. Besides, I was told quite curtly, it was none of my business. I felt as a Japanese that it was indeed my business, but I decided to bite my tongue. The power of Alec Guinness's acting, I hoped, would overcome the burden of this unfortunate makeup job. However, I would be sadly disappointed. Guinness had been working with Japanese dialogue coach, Bob Okazaki, for the accent as well as the few phrases of Japanese he had to speak. But the slurred, oddly broken British accent he affected as Mr. Asano was like nothing I had ever heard before. His Japanese phrases were even worse. They were incomprehensible gibberish. I was chilled standing set-side, watching all this go on before my eyes. I asked Bob Okazaki if anything could be done abount the embarrassing sounds that Guinness was palming off as Japanese. But all the hapless dialogue coach could do was look down and shake his head hopelessly. "I can't tell him anything," he moaned. "He's going to do what he's going to do." The wonderful experience that I had looked forward to was stingingly dashed. Even if I still had the desire for set-side chats with Alec Guinness, they were not to be. He retired to his dressing room as soon as his scenes were completed. He was aloof and utterly distant. Some people tried to explain him to me by saying that he was very "private" or that he was "shy." But I simply found him colorless, withdrawn, and disappointingly banal. It made me wonder how he could be so unarguably effective in so many of his roles and so disastrous in A Majority of One. This experience got me to thinking on the issue of the casting of actors across ethnic lines. Quoted from P.178-179, "To the Stars", George Takei, POCKET BOOKS, USA, 1994. |
私は暗い撮影所から外に出た。 カリフォルニアの眩しい陽射しの下、眼を細めて立っていたら、黒塗りの大きなクルマがやってきて止まった。
後部のドアが開き、細身で鷲鼻の中年男性が出てきた。 出来上がったばかりのメイクアップで襟が汚れないように、
ティッシュペーパーの輪っかを首に着けている。 アレック・ギネスだ。 私は撮影所の入り口まで戻り、重い扉を開けて彼を待った。
「おはようございます、ギネスさん」と、私は挨拶した。 彼は「おはよう、どうもありがとう」と、 大袈裟な日本式のお辞儀をしながら私の前を通り過ぎて行った。 自分に与えられた役になりきろうと努めているんだろう、とも思ったが、 眼に映ったものにはショックを受けた。 彼の両眼にはゴム製の薄い膜が貼ってあったのだ。 そのゴム膜はよく出来た巧みなものだったし、縁が目立たないよう上手に貼り付けてあった。 しかし、それのせいで彼の眼は冷たく残忍な、まるで爬虫類の眼のように なってしまっていて、ひどくいやな感じがした。 彼は思いやり豊かな主人公の役をこれから演じようとしているのに。 私は助監督のところに行って、あの日本的(だと思っているらしい)メイクを どうにかしてもらえないかと頼んだが無駄だった。 それどころか「君には関係ないことだ」と冷たく言われた。 いや、日本人の血をひく者として大いに関係がある、と言いたかったが、 ぐっと我慢することにした。 アレック・ギネスほどの俳優なら、このひどいメイクアップなどものともせず 素晴らしい演技を見せてくれるだろう、と思ったからだ。 しかし、その期待は見事に裏切られた。 ギネスには日本語で喋るセリフがいくつかあり、 その指導役としてボブ・オカザキがついていた。 しかしギネスが喋った日本語はひどいものだった。 むやみに早口なので音が繋がってしまっている上に、 イギリス英語風の妙なアクセントを付けて喋るため、 何を言っているのかさっぱりわからないのだ。 セットの脇に立って見守りながら、私は血の気が引いていくのを感じた。 そこでボブ・オカザキに、ギネスの日本語モドキをなんとかしてくれと頼んだのだが、 この可哀相な日本語指導役はうつむいて首を振るだけだった。 「何も言っても無駄なんだよ」悲しそうにボブは言った。 「ギネスは自分がしたいようにするんだ」 ギネスとの共演は素晴らしい経験になるに違いないという私の期待は、 こうして無残にも打ち砕かれてしまった。 もし撮影の合間にアレック・ギネスと話をしたいと思った (もっとも、あのセリフを聞いた後はそんな気はなくなっていたが) としても、それは叶わなかったろう。 彼は自分の出演シーンの撮影が終わると、さっさと控え室に戻ってしまい、 人を寄せ付けようとはしないからだ。 「彼は独りでいるのが好きなんだよ」とか「内気な人だから」と 彼を弁護する人もいたが、私にはギネスが、これといった個性もなく、 自分の殻に閉じこもりがちな、がっかりするぐらい凡庸な人にしか見えなかった。 そして私は大きな疑問を抱いた。 幾多の映画で、誰の眼にも素晴らしい演技を見せたギネスが、 なぜ "A Majority of One" ではこれほど悲惨なことになったのか、と。 私はこの撮影の後、俳優が他人種の役を演じることについて、 いろいろと考えるようになった。 (訳:ピンキィ君の夫) |
いやー、私も日本人の血をひくものとして買っちゃいましたからね、このビデオ。そして、目が点になりましたね。あのアレック・ギネス演じるところの日本人に。
サー・アレック・ギネス、無茶苦茶言われておりますが、まぁ、自業自得でしょう。それがあのオビワンの演技に生かされたと思えば、まぁ、いいか(生かされてない、生かされてない)。そうかあの眠そうな目元はゴム膜を瞼に貼られていたからなのか。うんうん、『007は二度死ぬ』でも、整形のシーンで『瞼を一重に』ってやってましたね。あの頃は釣り目でどじょうひげは中国人、一重瞼で出っ歯は日本人だったんだろうな。
きっと、若林映子も浜美枝も『ちがーうっ!!』と思いながら『ボンドガール』の御威光に逆らえなかったんだろうな。なんせ国宝に手裏剣突き刺しちゃったぐらいのすごい(?)映画だったし。
そういえばアレック・ギネスは『戦場にかける橋』では、早川雪州と友情らしきものを感じる役をやっていましたが、まさかあの日本語で話し掛けて『セッシュウに無視された』とか言って怒ったりしなかっただろうな。
[追記1]
アサノ氏が喋る日本語(らしきもの)の音声を追加しました。
『日本の歩き方』の『その54:アサノ氏は…喋る』
『日本の歩き方』の『その56:アサノ氏は…笑う』
をどうぞ。[追記2]
日本語指導役のボブ・オカザキとは、『ブレードランナー』のすし屋の主人(『二つで十分ですよ』の人)を演じていた役者さんだそうです。