日々是口実 2003年盛夏
フィンランド旅行編 第3日
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某月某日
恒例の『表敬訪問』に出かけることにする(海外旅行先では必ず現地の博物館か美術館に行くことにしているのだ。この『表敬訪問』をしなかったのはアナハイムとオーランドだけ、というか、あの2つの街の歴史は、アミューズメントパークの歴史でしかないし)。ヘルシンキ・カードという、トラムやバスが乗り放題で、ほとんどの博物館も無料になるパスを2日分購入したので、トラム乗りまくりかなぁ、と思ってたんですが、ヘルシンキの主な美術館・博物館は徒歩圏内(私にとっての)なので、すべて歩いて回りました。
でも、今回ちょっと道を把握するのに時間がかかっちゃいました。普通、公共交通機関で一往復すると、その範囲の道を覚えるんですが。年取ったせいなのか、ヨーロッパの道が複雑なせいなのか。
まず最初に訪問したのが、中央駅前のアテネウム美術館。ここはおすすめです。北欧的憂鬱に満ち満ちた作品が目白押し、惜しむらくは収蔵品を使ったカレワラのダイジェストの英語版がなかったこと(もしかしたらあったのかも知れませんが見つけられなかった)。フィンランド語版のカレワラのダイジェストで目に付いたのも、子供向けの漫画っぽい挿絵がついた絵本ぐらいしかなかったもので、大人向けのがちょっと欲しかったかなぁ。
次が中央駅の隣の郵便博物館。展示品(昔の郵便局のカウンターや、配達用の自転車、切手など)に書かれている文字(説明の文章じゃなくて、展示品に印字されていたり彫られていたりする文字)が、フィンランド語だったりスウェーデン語だったりドイツ語だったりロシア語だったりするのが、フィンランドの苦難の歴史を物語ってます。
この郵便博物館では、ドールハウス展もやっていたせいか、ガラスケースにミニチュアの人形やお菓子の箱が。
ミュージアムショップで売っている展開図を組み立てるとできるようです。その中にはもちろんこれ、ゲイシャチョコ。
あと、郵便博物館のショップには、こんなTシャツも売ってます。
この1952という年だけで、ヘルシンキ市民はピンと来るようです。え〜と、日本でいうと『1964 郵便局』というところでしょう。そう、小熊のミーシャがボクシングで金メダルをとったヘルシンキ・オリンピックの時の特設郵便局の風景です。いや、私も後ろの五輪マークと、FRANCEと書いたユニフォームを着た人に気付くまで、実はピンときませんでした。で、右端、カウンターの一番手前にいるアジア人、どうも日本人に見えるんですけど、見る人が見ると、この人はどなたなのか判るんでしょうね。『あ、これは○○競技の△△選手だ』とご存知のかたがいらっしゃれば、ぜひ掲示板までご一報を。その次は近代美術館キアズマに寄り(あまり印象に残らなかった)、市立博物館へ行く途中で国会議事堂前を通る。おおっ、ここの議事堂の前の階段、若者やら観光客がだらだら座っているぞ。まぁ、議事場が、う〜んと遠くにあるのか、会期中じゃないかもしれませんが、日本の国会議事堂前で若者がうんこ座りしてたら、まず捕まっちゃいますね。10年前に初めてワシントンDCに行った時の国会議事堂もこんな感じでした。ちょうど大雪の後で、建物の本当にギリギリのところで子供がソリ遊びしてたりしたものです(キャピトル・ヒルと呼ばれているように、国会議事堂は小さな小さな丘の上に立っていて、斜面の確度がソリで滑るのにぴったりだった)。今や、そんなこと出来なくなっちゃってるんでしょうね。
で、市立博物館。もとは教会だったようです。
でまぁ、お約束どおり古代生物の化石や石器・土器から始まり、中世期の美術品やら、貨幣のコレクション(のなかにリスぐらいの小動物の毛皮があって、『これ、お財布?』と思って説明書きをよくみたら、これもりっぱな『お金』として流通していた模様)やらがありますが、毎年必ずどこかしらの博物館からの収蔵品がやって来る日本に住んでいて、スミソニアン博物館などの収蔵品を見てしまった目には、やはりパワー不足です(でも、それがこの国の歴史なんですが)。しかし、それをおぎなって余りあったのが、近代史のコーナー。さすが周辺諸国に揉まれまくった国です。2次大戦中の『欲しがりません勝つまでは(ちなみに、戦った相手はドイツじゃなくてソ連)』時代あたりから、展示品にターボがかかってきます。
その中にこんなものも。
たぶん、2次大戦直後ぐらいに出回っていた洗濯石鹸と思われます。う〜ん、ATOMIという商品名はともかく、キノコ雲はなぁ〜、跡形もなく汚れを落とす、とか、驚異のパワーで汚れを落とすとでも言いたかったんでしょうか。
そのあとの死の灰とか残留放射能はどうするの?とか思っちゃいますが、とりあえず2次大戦後から60年代ぐらいまでにあった、いわれなき原子力信仰の産物なのか?
展示室の片隅には少し昔(多分)の教室が再現されていました。
このタイプの机あったよなぁ、と思って蓋を開けてみると。
なつかし〜、この足型のスタンプ、あった、あった。
で、もって落書き。当時の生徒が書いたか、英語圏からの来場者が書いたか判然としませんが(ロゴが最近のラクガキ風のものもあるので)、もし当時の生徒が書いたとすると、フィンランド人も日本人も、授業中に考えてることは同じ、ってことでしょうか。
来場者が書いていたものだったら、日本でいうところの『○○参上』というところでしょうか。中にはハーケンクロイツが描かれたのを上からマジックで塗って消してあるのもありました。
もうひとつすごく懐かしかったのが、これ。
多機能筆箱。お約束の秘密の物入れやら、秘密のロックやら(これが開かなくて先生に怒られる奴が必ずいた)がてんこ盛り。そうか、フィンランドでも流行ったのかぁ〜、ただ絵柄がドイツの戦闘機というのが地域差を感じさせますね、日本だったらアメリカの戦闘機だな。この後、アモス・アンダーソン美術館に行って、ちょうど夕刻。『表敬訪問』は無事終了。
夜、夫が出張時に観れなくて残念がってた映画(次の週から上映開始だったらしい)が、別の映画館で上映中なのを発見したので観に行くことにする。
『畏れ慄いて』。ちょっと前、日本でも原作本が話題になった映画です。東京の日本企業で働くことになったフランス人女性の実体験がもとになってます。え〜、わがままなガイジン娘のトンデモ日本観に満ちたトンデモ映画かなぁ、と思って観たんですが、いや、すごくちゃんと描けてて、泣いちゃいました。
何故涙が出るのかわかんないんですけど、ぼろぼろ泣いちゃいました。まぁ、自分がしてきたこと・されてきたこと、言ってきたこと・言われたことが思い出されたんでしょうか。今の会社はどうだかわかりませんが(て、いうか、これよりは進化していて欲しいぞ)バブル前後の会社って、こういう人が大勢いたよなぁ。
『パソコンより電卓の方が早い』とか言って、ろくにやり方も教えずに自分と同じ電卓使いを新人に強要して、『こんなの30分で出来るのに、いつまでやってるんだ。わかんなかったら聞け!!(聞ける雰囲気ではない)』『理屈こねずに体で覚えろ!』と、伝票計算がパソコン化されるまで、新人何人も泣かせてたおじさんいたよなぁ(パソコン化された途端5分で出来る仕事になったが、おじさんは最後までパソコン導入に抵抗してた)、とか、まぁ出てくるシーン出てくるシーン、どれも『うわぁ〜、そうそう、こんな非効率なことやってたやってた』なことばかり。
日本でも、最近どこかのイベントで公開されたようですが、こりゃ日本じゃ一般公開されないわ、地味すぎて(ていうかリアルすぎて)。
でも、もし公開するとしても、女性運動家の皆さまが『職場での女性問題を考える為に是非見て欲しい』とかやっちゃった結果として公開されたら、それこそ限定された人しか観ないだろうから、もったいないなぁ。『フランスから来た、トンデモな日本を描いたバカ映画』って嘘ついて宣伝すれば、いろんな人が見に来て、いいんじゃないかなぁ。
それか、いろんな企業で、管理職を集めて、この映画を見せて、『この映画に出てくる会社のどこに問題があるでしょうか』と討論しあう『危険予知訓練』に使うのが一番いいかもしれないなぁ。『問題なんかどこにあるんだ、このガイジン娘が変なだけじゃないか』とかいう意見ばかりだと、結構危ないですぜ、オタクの会社。
で、原作がこちら。左がフィンランド語版(夫が出張時に買ってきたもの。映画の封切り直前だったせいか、書店で山積みになっていたらしい。かなり注目されていた模様)、右が日本語版。映画の衝撃が強すぎて、まだ読んでません。(つづく)
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