日々是口実 2003年盛夏
フィンランド旅行編 第7日

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某月某日
フィンランド最終日。

未練たらしく元老院広場へ。やっぱり出店は出ていません。でも、黒紗幕は外れてこんな感じになっていました。

当日になってからリハーサルする様子もなく、あきらめてお土産購入に専念することに。

で、ふと目に付いた、元老院広場の向かいの観光客目当てのフィンランド土産とロシア土産の店に入る(入り口は別々だが実は中でつながっている)。

最初は私が『なんか面白いお土産物ないかなぁ』と思って入ったのですが、気が付いたら夫がショーケースにへばりついたまま激しく往復横移動しています。『まぁ、私に琥珀のアクセサリーでも買ってくれるのかしら(はぁと)』と思って、よーく見てみると、ショーケースに入っていたのはミグやT型戦車をあしらったソ連製腕時計(あくまでもソ連←ここ重要)、それも店番のおばさま曰く『オリジナルかつアンティーク』とのこと。

う〜ん、これ、出発前にオマケ欲しさに買ったmonoマガジンに載ってた『日本で買える海外製品(うろ覚え)』のコーナーにあったような気がするなぁ。ロシアに行く気がなかった、っていうかヘルシンキにこんな店があるとも思わなかったもんで、値段チェックしなかったけど、高くないか? これだったら日本製の電池要らず電波腕時計が買えるぞ。それにこれ、秒針動いてない上にベルト無しなんですけど(帰国後monoマガジン見たら、オリジナルかレプリカかわかんないんですけど、ほぼ同じ値段でした。う〜ん、日本ってなんでもあるなぁ)。

でも、夫、買いたいらしく『こっちかな、それともこっち? いっそ2つとも』とか言うんで、『ちゃんと日本円に換算して考えてるの? これくらいになるんだけど』と耳元で囁いてやったら『うわっ〜、ユーロ(1ユーロ=100円よりずっと高い)じゃなくてエストニアクローネ(1クローネ=10円もしない)で計算してた〜!』と、催眠術から醒めたような目で青ざめる。タリンから帰ってきたのおとといなんですけど...

店のおばちゃんは『これは売らねば!!』と思ったのか、『大丈夫、動くわよ』と腕時計をバシバシ叩いたり、『どこまで下がるかオーナーに聞いてみるわ』と電話までしていたが、さすがに壊れかけの腕時計に大枚をはたく気にはなれなかった(というか私の厭味がこの後続くのが嫌だった?)のか、夫あきらめる。

あきらめた結果、ショウケースに入っていなかったこちらの時計を買うことに。

 
え〜、イヤリングなんかと一緒にぶらさげてあったのでアクセサリー扱いの模様。でも、動きます。夫曰く『この鎌とハンマーのデザインがいいでしょう』とのこと。お値段も十分の一。あまりに綺麗なんで、ソ連崩壊後のお土産物の恐れもあり。でも、お土産なんでこれでOKです。

おばちゃんは、大物は逃したものの、商機を逃すまいと必死に売り込みにかかります。さっきまで私たちなんか見えないのかしら?と思うぐらい一生懸命店の掃除をしていたのが嘘のようです。つい10分ほど前にはマトリョーシカに触ろうとするお客さんがいると『こちらで展開しますのでおっしゃって下さい』とか目配りをしていたのに、おばぁちゃんの団体がマトリョーシカを触ろうがひねくりまわそうが、夫から目を離さず『そこにコインがあるわよ』『そこにプーチンTシャツとバッジが』と、私には目もくれずに説明しまくりです。

私が夫に近寄ろうとすると、対人レーザー銃なみの鋭い視線が私に飛びます(さきほど私が何か囁いた途端、夫の買う気が失せたに気づいた模様。ちっ、日本語わからなくても雰囲気でわかりやがったか)。居ずらいったらありゃしない。まぁ、コインやバッジ程度ならたいしたことないし、脳味噌の換算計算機もエストニアクローネ⇒円からユーロ⇒円換算用に叩き替えておいたから大丈夫だろうと外で待つことに(入る時は夫、しぶしぶおつきあいだったのが立場が逆転)。

お買い物結果がこれ。

1とか書いてあるのは1ルーブル硬貨か? 数字の書いてないのは記念メダルなのか謎。えーっと、どれかひとつは確か西側諸国では幻になっちゃったモスクワ五輪記念硬貨だったような。まあ、夫としては『鎌とハンマーさえあればOK』のようです。

もうひとつ、バッジです。

日本の夕方6時台のニュースで大人気の某国にもこんなのありますね。そういえば70年代前半に、知り合いのお兄ちゃんから油紙で包んだ似たようなバッジ(色は塗ってなくて銀製)を『なかなか手に入らないから大事にしてね』と貰ったことがあったが、あのころも学生運動の余波でこういうの流行ってたのかなぁ...

やっと気が済んだみたいなので。普通のショッピングモールへ行く。夫、ふと立ち止まり、珍しく若者衣料の店へ。

気が済んでいなかったようだ。
次に向かったデパート、ストックマンのインテリアコーナーにて。
 
う〜ん、ヘルシンキの漢字熱は低いのか、もう終わりなのか、まわった範囲のお店ではあまり漢字Tシャツは売っていませんでした。でも、街中では着てる人をちらほら見かけたなぁ。

ストックマンの化粧品売り場ではこんなものが。

え〜っとこの油取り紙、アメリカでも見たような気が...というか、こういうデザインにするということは、油取り紙って日本独自の文化なんでしょうか? それともここでも日本製品は優秀だっていうことになっている(から日本っぽさを強調している)のか? ちよっとカッコ好いんで買っとけばよかったかなぁ。もしかしてカネボウの油取り紙、日本でもこのデザインだったりして(最近、油取るほど長時間化粧してないもんでよくわかんないんですよ。OLの頃はようじ屋の使うの流行ったなぁ)。

なぜ、『油取り紙は日本独自の文化だからこのパッケージなのか?』と思ったかというと、カネボウでも、これはごく普通のデザインだったもので。

 
でも、なんで紫電改なんでしょうね? 『焦土化を阻む最後の望み』ってこと?

空港へ。免税店の前にはキシリトールガム会社の回し者が。

 
この人、フィンエアーの就航再開イベントで関空にも来た人では?

『いや〜!ムーミン!!』と駆け寄っていくのは日本人のおねぇ様方達ばかり。ご覧の通り彼、なにげに孤立しとります。というかフィンランドの着ぐるみ技術、今ひとつなのでは? ちょっと恐いです。地元の子供たちは遠巻きにして見守るばかり。おとうさんに『ほら、ムーミンだよ』とばかりにムーミンのほうに押しやられた、3歳ぐらいの男の子など半泣きです。う〜ん、わたしも『これ、ムーミン』といわれたら、ちょっと考えるなぁ。

そしてフィンランドを離れる時が。成田行きの飛行機に搭乗。飛んでいる間じゅう、窓から見える火星がきれいでした。

ついに帰国。旅行記もやっと終わり。性に合わない『ヘルシンキ旅行記』やら『タリン旅行記』やら辛かったです。 ネットサーフィンしててまず見ないのが『わたしのラブリー家族紹介』と『皆さまに教えて差し上げるわ!!旅行記』だもんなぁ。 なのに自分でこんなの書いてて、辛かったなぁ。 世間の皆さまもそうらしくて、最近『海の家』のカウンターのまわりっぷりの悪いこと悪いこと。 本人も辛かったんですよぉ〜。

(完)
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