日々是口実 2003年盛夏
フィンランド旅行編 第5日

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某月某日
エストニア滞在2日め、再びタリン旧市街内へ。

まず、タリン市博物館に行く。ハンザ同盟の一員として栄華を誇った古えから始まって、現代までの文物を展示してある。その中で、現代コーナーが一番面白いのは、どこの国の博物館でも同じ。

ん〜、これ多分、ソ連から独立する少し前の市民集会あたりで、ソ連をおちょくった模様を撮った写真だと思われます。左からスターリン、ブレジネフ、レーニンですね。

この写真があった展示室では、『エストニア独立のあゆみ』という感じのビデオを上映していたんです。『面白そうだから見ていこうか』と見始めたら、これが長い長い。独立の3年前というところから観始めて、30分以上経っても2〜3ヶ月分しか進まない。もうちょっと編集して全体を30分ぐらいにまとめて欲しいところなんですが、まだほんの10数年前の出来事なもんで、激動の歴史、それもエストニアがこの何十年間で多分一番熱かった頃のどの出来事もカットしたくなかったんでしょうね。で、あと20年ぐらい経ったら、独立をリアルタイムで経験していない若い学芸員が『あ、これ、タルいからカットカット、まったくジイさん達は気が長いんだから』と短く編集し直してくれるんじゃないかと。

で、その展示室担当のおじい様、もうこのビデオを見せたくてたまらないようで、来る客来る客をなんとかビデオコーナー(といっても家庭用のビデオとテレビが置いてある前にパイプ椅子が6脚ほど並べてあるだけ)に座らせようとするわ、展示物に興味を示したお嬢さん(あ、お嬢さんだったからか)に熱心に説明しまくるわ、大活躍でした。

ただ惜しいことに、そのおじい様、外国語はドイツ語しか話せない模様(ロシア語はOKかも)で、相手がドイツ語がわかると知るや否や、そのお客さんから離れません(捕まっていたお嬢さんもドイツ人だった)。

我々にも一瞬、なんか話しかけたそうな素振りを見せましたけど、アジア人と見て取るや本当にがっかりした顔で去って行きました。もちろん去り際に『ビデオ見てくれ』の一言(多分、話せるの英語はこれぐらい)とジェスチャーを忘れませんでした。

このビデオを見ると、タリンがこの10年でいかに俗化してしまったかが判って、なんとも複雑な気持ちです。

他の階には、かなりのご年配にもかかわらず流暢な英語を喋るおばあ様が陶器の説明をしてくださり、これはこれでなんか謎の歴史(元・切れ者女スパイ?とか)を想像させられて興味深かったです。

再び旧市街を散策。そこで私が撮った、夫お気に入りの一枚。

やっぱり、テープぐるぐる巻きのカメラで撮った一枚。この、偶然入った(現像するまで気付かなかった)おばあちゃんがポイントでしょうか?

私、タリンって、街全体がこういういい感じに古ぼけた所だと思っていたんですよ、ヨーロッパだし。でも、住んでる人達からしてみると、お金入ったら綺麗に直したいのが人情というもんですね。まぁ、古ぼけたまんまにして崩壊されても困るしなぁ。

タリンでも公開されていました。

 
たすきがけの三助娘、頑張って外貨(エストニア・クローネ)を稼いでおります。

バレエ学校の向かいの音楽学校の入り口にいた、タリンの和田勉。

 
いや、タリンの南部虎弾? どうも有名な音楽家のようです。

タリンの落書き。

 
『MCDonald’s(マクドナルド)→MCD(マクド?)→Mad Cow Disease(狂牛病)』。

日本でも大昔、『猫ドナルド』とか言われたりしてましたね。グローバルスタンダードのファーストフード、各国の落書家の人気者です。

そろそろお土産の確保に入る。

『セーターの壁』という、セーター専門の露店がずらっと並んでいるところでセーターを買ったんですけど、買った後で『なんかこういうのダイエーで似たようなの買えないか?』とちょっと悩んじゃいました。いや、なんか凄く安いんですよ(私が買ったとこのおばちゃんは、私が買おうかどうか悩んでいたら、いきなり値下げしてきました)。ちゃんと建物に入っている土産物屋よりずっと安かったんですが、品質的にどうなのかは謎(それとも値札見間違えたかなぁ。綿とウールの違い? こういうとき自分に興味が無い物の値段を覚えようとしない夫を連れてると不便でしょうがないです。いや、私、自分の記憶力に自信がないので夫を外部記憶装置として使ってるんですけど、この『同じようなものの値段を覚えておいて比較する』能力だけ、著しく低いです夫)。なもので、編物や毛糸、日本でのセーターの値段に詳しいか、『タリンで買うことに意義がある』と考えてる人は『セーターの壁』で思い出の品として買われるといいと思います(あと、日本でお目にかかれないような模様編みがあった場合も)。

ロシアモノの土産店も覗いてみる。そこのねぇちゃん、小さな布製ロシア人形を薦めてきて、『ちょっと高い』と言ったら『これ顔はポーセリン(磁器)でハンドメイドだから』と説明しとったが、顔はどうみても素焼きだったぞ。まぁ、それはボキャブラリーが不足していただけかもしれないので許す。が、あんたの国ではハンドメイドっつうのは、洋服の飾り布をボンドで貼り付けることなのか? 確かにハンドメイドだろうけど、私の考えるハンドメイドとは全然違うぞ。それにボンドはみ出してるし...

ヘルシンキでもタリンと同じ土産を買えますが、タリンで買ったほうが安いことが多いです。

本屋さんにも行く。エストニア語の本とロシア語の本と英語の本がそれぞれ同じぐらい棚にあるのが複雑な国情を物語っているような。

そこで見つけたのがこれ。

旧ソ連の政治ジョーク集、日本でいうところの『スターリンジョーク』っていうやつです。タリンが舞台のジョークもあります。

ん〜、これからこういう政治ジョークは、イランやアフガニスタンで隆盛をきわめそうな気がするんですんですけど、そのためにはもうちょっと生活基盤の安定(ただし不満がなくならない程度)が必要なんだろうなぁ。

そして昼食どき。もう、もうこのまま帰っちまおうか(フェリーの出発も近づいてるし)、と諦めかける私を夫が『なんとかのプディングで負けて、ガス入りミネラルウォータで負けて、負け続けたまま帰るつもりか、昨日の恨みを晴らさずに逃げるつもりか。負け犬でいいのか』と追い詰める。

で、負けてもともとのつもりで昨日と同じレストラン(ホテルに帰ってからガイドブックをよく見たら、エストニア料理で有名な所だったらしい)に出かける。ああ、メインディッシュだと思い込んでいたのが敗因だったのね、豚肉のゼリー寄せ。アピタイザーのとこにありました。はい、こういうのです。

 
もうちょっと濃厚な味だと思ったら、あっさりしてました。でも、美味しかったです(今回のじゃがいもは、揚げじゃなくて茹で)。バターもおいしいぞ。

地ビールが意外と普通でした。う〜ん、料理の系統がドイツ系(ザワークラウトとか黒パンとか、このゼリー寄せもアイスバインの親戚みたいな感じ)なので、ビールも濃いかなぁ、と思ってたんですけど、日本のビールとあんまり変わらないあっさり系でした(美味しいんですけどね)。

昼過ぎに旧市街を離れフェリー乗り場へ。ヘルシンキへ帰るフィンランド人だらけ。みんなカートにビール2ケース(二人連れだと4ケース)をくくりつけ、ソフトケースは外から見てもわかるくらい酒瓶が詰め込まれている。みんな日用品じゃなくて、お酒買いに来てるんだぁ。

乗り込んですぐ、行きに一緒だった少年に出会う。

『まだ免税店が開いてないから、うろうろしてるんだぁ』と言っていたので、『へぇ、船に免税店かぁ』と思って見に行くと、ぎっしり人が並んでいて店内に入れません。みんなお酒とビールを目一杯抱えています。フィンランドでは何歳からお酒が飲めるのか知らないのですが、17歳の彼も頭数として参入しているんでしょうか(え〜と、免税店では年齢確認とか必要ないんでしょうか?ある意味無法地帯?)。

売り場の大部分はお酒売り場です。ここは酒屋?っていうぐらい。いや、他にもチョコとかあるんですけど、だれも買ってません。相席していたインテリっぽいおじ様(エリック・クラプトン似)も、最初はお酒を買いに行く人々を醒めた目で見てい(たように見え)ましたが、しばらくするとやおら立ち上がり、お酒買って来てスーツケースにねじ込んでました。

もう一人相席していたおじさんは、どうも町内旅行のバスの運転手さんらしく(お客さんらしいお嬢さんに冗談言ってからかってた。最初は名札をしていたので船の係員と思っていたら、一緒に食事を始めたのでバスの運転手さんらしいと判明)、そのうえフェリーのファーストクラスは初めての模様。向かいの席に座る夫がアイスを取ってくると、おっ?と言う顔をしてじっと見つめた後、アイスを取りに行ったり、砂糖が紙ナプキン入れの下の方にあるのを私がとり出してきて入れると、今まで顔をしかめてブラックコーヒーを飲んでいたのが、うれしそうに砂糖を出してきて(アイスを取ってくるところを見ても、このおじさん甘党らしい)入れたりして、なんか判らないことがあると、我々の行動をじっと盗み見た後に、『おおっ』という顔をして真似するのが凄くお茶目(それも茶化してやっているのではなく、真剣に観察している)。

でも、紅茶飲む時にソーサーをあてがうのは、おじさんがするとキザになっちやうので、真似るのはちょっとやめて欲しかったぞ。それにおじさんが飲んでたのコーヒーだし。海外で真似されることなんかなかった(日本人が基準になる、なんて普通欧米人は考えないと思う。ピッツバーグの日本料理レストランあたりでは日本人以上にきちんとしたマナーを見せる人ばかりだったし)ので凄く新鮮でした。

ヘルシンキに着く直前、夫、少年にメールアドレスを渡す。『ヒマなときにメールくれよ』と。で、メールが来て、ただいま文通中だそうです。会社の同僚に『旅行先で知り合った17歳のフィンランド人と文通中なんだぁ』と話したところ、『それって女の子?』と聞かれたそうです。いや、男の子なんだけどさぁ、妻に文通内容教えてくんないんですよ。それはそれで妖しい。

ヘルシンキに到着。入国審査の列で、行きのフェリーで相席だった老夫婦にまた会う。ってここ、『非EU国籍人用』の列なんですけど、と言ったら後ろに並んでいたおばさんが『あら、そんなの関係ないわ。だって空いてるし、いつもこうよ』とのこと、ははっ、ごもっとも。それに入国審査官も税関職員も頓着してないし。

ピールを目一杯くくりつけたカートの群れに足をひかれそうになりながら、ターミナルを出る。

フェリー乗り場から歩いてホテルに帰る途中に見かけてビックリしたのがこの人たち。ヘルシンキにも居るんだぁ。
 
日本にいる人たちと違って民族衣装を着てないのでわかりにくいんですが、ペルー楽団の人たちです。

曲目も楽器の構成も、日本にいる人たちとまったく同じ。もしかして、ペルーにはこの楽団を送り出す秘密結社でもあるんでしょうか?

晩御飯はストックマンの地下の魚売り場でパテを買って済ますことに。ここでヘルシンキで初めて、英語が喋れない店員さんにぶちあたる(そりゃ魚を買う観光客は滅多におらんだろう)。でも、このオバチャンはいい人で、一生懸命に対応してくれる。後ろで順番待ちをしていた人もいい人で通訳してくれて、無事パテの購入に成功。お夕飯時のお買い物中にご迷惑おかけしました。

 
で、このパテ、美味しかったんですけど(海老が入ってるほうは、ちょっと水っぽかったかな)、おばちゃんが生魚触った手で包装してくださってたので、容器の外側から強烈な魚臭さが漂ってちょっと閉口しました。パテ本体はパラフィン紙越しに切ったり触ったりするので臭わないんですが、パックの蓋をする時、ずっとはめているゴム手で閉めるので臭いがつくものと思われます。食べる前に、蓋したまんま一回容器を洗っちゃいました。
(つづく)
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