日々是口実 2003年盛夏
フィンランド旅行編 第4日

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某月某日
ヘルシンキからバルト海を挟んで対岸にあるエストニアの首都タリンへ船で出かける。

ストックホルム行きの巨大な船を見ていた私は、『すげー、あんなでかい船に乗れるんだぁ』とわくわくしていたが、タリン行きの高速船はこれ。

 
その名も『スーパーシーキャット』。ねぇ、シーキャットってさぁ、ウミネコのことだよねぇ、鳥の。まぁ、かわいいから許す。

ちなみに、ストックホルム行きのフェリーはこの大きさ。

 
実はタリン行きの乗り場までたどり着くのにちょっと苦労したのだ。

ホテルから乗ったタクシーのおじさんが、ストックホルム行きの大きな船が出るほうの立派な船着場まで連れて行ってくださったおかげで、雨の中、スーパーシーキャット乗り場まで10分ほど歩く羽目に(乗船時間が近づいてきたのに、出国審査もチケット売リ場も開こうとするふしが無いのに不審をいだいた夫が近くのお兄さんに聞いて判明)。

スーパーシーキャット乗り場につくと、なぜか妙に大きなソフトタイプのスーツケースや折りたたみ式キャリーを持った地元民らしき人々で乗り場は大賑わい。実はこのスーパーシーキャット号、物価も税金も高い(消費税はなんと22%!)フィンランドの人々が、物価も税金も圧倒的に安いタリンへ買い物に行く買出し船として有名なんだそうだが、このときは『スーパーかなんかで食料品買い込んだりするのかなぁ、この船賃を払ってもペイするとは、フィンランドの物価高と税金おそるべし』と思った程度でした。

で、こちらが船内。ちょびっと奮発してファーストクラスです。

で、出発。

今、私はバルト海を渡ってるんだなぁ。100年前、ここをバルチック艦隊が通ってったんだぁ。

ファーストクラスでは飛行機の国際線のエコノミー程度の食事が出ます。飲み物はビールを含めて飲み放題。アイスも食べ放題。コーヒーを注いでくれるエストニア美人(たぶん)の乗務員さん達は優雅な物腰で、とってもハイレベル。

観光シーズンのせいか、乗っているお客さんは妙にうきうきしているカントリーな団体さんばかり。で、この船、ファーストクラスでも指定席じゃなくて定員制なもんで、満席なんだが東洋人の前に座るのを躊躇していた60代ぐらいのご夫婦(私もクロスシートでガイジンさんの前しか席が空いてなかったら、よっぽど疲れていない限り座らないもんなぁ)に相席しませんか。と声をかける。

このご夫婦、まったく英語が喋れないことがわかって、しばし沈黙。出航してしばらくして夫が携帯を出して『あ、もう陸地が見えないのにまだ圏内だ』と言うと、対面のおじい様も懐から少々古めで大きめの携帯を出してどなたかに電話をかける。私が夫に『あれ見て見て』と窓の外を指すとおばあ様も外を見る、という具合で、お互いもどかしい状況が続く。

と、おじい様が席を立ったと思ったら、入れ替わりにハイティーンの少年がやって来た。どうやら、おじい様が我々の為に(?)、英語が喋れる少年を差し向けてくれたらしい。少年によると、ヘルシンキから列車で一時間ほどの町から団体でタリンに行くところだという。この少年、たぶん町では有名な秀才なんだろうな。しかも、ちょっとウィリアム王子似。年寄りは大切にしとくもんだねぇ。というか年寄りに気ぃ使わせてどうする、私たち。

夫が彼と話したところ、フィンランドで有名な日本人はノルディックの荻原、サッカーの中田、稲本、小野、川口など(韓国人プレイヤーと混同しないところが凄い)。で、『こんどスズカでレースあるよね』とのこと。F1の話にのってこない日本人を不思議そうに見ていました。

彼は17歳(には見えない。小柄で童顔なせいか14、5ぐらいにしか見えなかったな。いや、ヘルシンキ行ってわかったんですけど、フィン人あまりでかくないわ)の高校生。次の週から始まる新学期では、『日本の歩き方』の『その73:外来語』で紹介した英語の教科書を使うとのこと。

英語で他国人とノーガードで会話するのは彼にとって初めてだったそうで、自分の英語が通用して喜んでました。いや、日本の17歳に比べればほんと、良く喋ってました。この国の大人たちはみんな平気で2、3ケ国語は話すし、彼もスウェーデン語とドイツ語もちょっと話すとかいってたし。で、『タリン行ってもそれだけ英語喋れれば平気だね』と夫が言ったら『ああ、タリンではフィンランド語通じるから』と言ってました。恐るべし観光都市。

その後、夫はこの17歳の少年に第2次大戦中のロシアとドイツとフィンランドの関係の話をふっかけたりしてました。『ふっ、これで彼も自分にはまだまだ勉強が足りんと自覚しただろう』とか威張ってましたが(17歳の少年にそれに答えるボキャブラリーが不足していたとしても、私はそれを責められない、っていうか『アメリカでは政治と宗教の話はご法度』とか言ってる人が、なぜ、ヨーロッパの第2次大戦話となると見境無くなるかなぁ)、おまえもどれだけ自国の歴史知ってんだよぅ(本人曰く『ただいま勉強中』なのだそうだ。なんでも共通一次を地理と倫社で受けたもんで歴史は全然らしい。時々ビックリするようなこと言ってくださるし、私も結構あやふやなので、我が家には、山川が出している世界史と日本史の図録は必需品。じゃないといつまでたっても双方の意見が対立したままなんで)。

そんなこんなで、1時間半ちょっとでタリンに到着。

下船して旧市街に向かう。この旧市街は中世の雰囲気を今に残すということで世界遺産にも指定されている、タリン最大の(というか唯一の)観光ポイント。

港のすぐ横に立っている、旧ソ連時代からあったと思しき高層ホテルがむちゃくちゃ共産主義国家を感じさせてイカしてます。港から旧市街までの道端には、朽ち果てて草むした貨物引込線(多分)の線路の残骸。そしてやたら目に付くのが『24時間営業』と(英語で)デカデカと看板を出している酒屋。こりゃ、とんでもないところに来てしまったのかもという不安が。

しかも、今歩いている方角が本当に旧市街行きなのかもわからず不安。日本だったら港から旧市街までの道を『歴史の小径』として綺麗に整備して、イエローブリックロードじゃないけど観光客が迷わず旧市街に吸い込まれるようにしちゃいそうなもんだが、そこまで手が回らない模様。まぁ、そのそっけなさが『旧共産圏に来た〜』という感じにさせてくれて、楽しいと言えば、楽しいんですけどね。

で、とりあえず他の観光客と思しきグループの後ろについていくことに。ところが私たちが後をついていった二人組も、最初ちょっとメインルートから外れていた模様。あぶねーあぶねー。ま、遠くになんとなく古いそれらしき城壁も見えてたし、迷うことはなかったです。でも、そもそも城壁って町を守るためにあるわけで、出入り口が少ないんですよね、門をひとつ見逃すと結構歩くことになります(というか、なりました)。日本の城下町と根本的に違うんですね。

結局、港から10分ほど歩いて、旧市街に到着。

凄いです、ここはネズミーランドか倉敷の美観地区かと思うほど。港から旧市街までの寂れっぷりとのギャップがありすぎます。

旧市街の入り口には両替屋やお土産物屋がずらっと並んでいるだけでなく、いきなり物乞いのおばあさんに追いかけられます。凄いぞ世界遺産。ヘルシンキではこんなことなかったぞ。メインストリート入ってすぐのところにマクドナルドがあるのも凄いぞ。ソ連崩壊の少し前に独立してから10年ちょっとでここまで資本主義に染まってしまうとは凄すぎだエストニア。

おまけに旧市街のちょっとはずれ(一応世界遺産内)にはなんとストリップまで。

しかも夫と二人連れなのに、入り口付近に立っていたおっちゃんが夫に『どうだい旦那』みたいな声をかけてくる(まぁ、看板の写真をとっていたから『それ、面白いかい』っていってたかも知れませんけど)。

いや、エストニア語がわからないので違うかもしれませんが、多分そうだ。夫にむかってニヤニヤ笑いかけながら話し掛けてくるなんて、アベックをからかう酔っ払いか、呼び込みか、ホモぐらいしか考えつかん。

しかし、呼び込みだとしたら、隣に女の連れがいるのに失礼な奴、とも思うのだが、これ、新婚旅行中のオーストラリアのキングズクロス(歌舞伎町みたいなところ。ホテルがキングズクロスを通らないと帰れないところにあったんです)でもやられたなぁ。私、女に見えないのか? それとも外国ではストリップってアベックで見るもんなの?

でも念の為に付け加えておくと、タリン旧市街はほとんどこんな感じの美しい町です。

 
ただ、古美術品の修復の際にもよく言われるんですが、中世から残る建物がぴかぴかに綺麗に修復されちゃってるところが多いうえ、メインストリートの建物のほとんどが土産物屋かレストランになっているおかげで、なんかアミューズメントパークっぽい、なんか非現実的な空間になっています。

いや、歴史的遺産だから、非現実的でいいのか...う〜ん。でも、非現実のベクトルがちょっと違うほうへ行っている気もするが...

それにしても、周りは団体さんだらけ。言葉の響きからするとドイツ人らしい。『ヤー、イッヒなんたらかんたら』とか言ってるし。ガイドさんの旗や傘(欧米系観光ツアーのガイドさんはなぜか折り畳み傘を掲げている人多し。にわか雨が多かったからか)のもと、ほとんど途切れもせず、ぞろぞろ歩いている。しかも、私にぶつかっても無言。狭いお土産屋をおばちゃんグループで占拠して、私が横を通ろうとしても、よける素振りの一つも見せてくれない。アメリカなら間髪を入れずに『オーウ、エクスキューズ・ミー』と言ってくれるシーンなんだが。ヨーロッパを団体で移動して顰蹙を買ってるマナー知らずの旅行客ってのは日本人だけじゃなかったのか?

でも、タリンやヘルシンキで見かけた日本人観光客の皆さんって、マナーはいいし、団体行動率は少ないし、静かだし、う〜ん、日本人観光客も進化してるなぁ、確実に。それとも、ここらへんまで来る人は旅なれてるのかなぁ。ただ、ヘルシンキのホテルの朝食バイキングで一緒になった団体さんの中では『今まで○ヶ国回ったのよ』VS『国数は少ないけど滞在日数は多いのよ』の戦いは相変わらず繰り広げられとりました。まぁ、団体旅行で共通の話題といったらそれしかないんで仕方ないんですけど、なんとかして勝とうとするのは微笑ましいというか、負けず嫌いというか。それと美智子さんの旦那様、料理を取りに行った奥様に向かって、椅子に座ったまんま、大きな怒鳴り声で『美智子! おい! 美智子!』とお呼びになられるのはどうかと思います。見ず知らずのわたくしでさえ、奥様の名前を覚えてしまいましたし、隣にいたガイジンさんがビックリしてらっしゃいました。奥様のことを、お付きのメイドぐらいに思っちゃったかもしれませんね、あのガイジンさん。

アメリカ人もちらほら。ちなみに私は、喋りだすまでヨーロッパ人とアメリカ人の区別がつきませんが(夫はつくと主張する)、なんとなく見分ける基準がわかってきました。アメリカ人観光客って絶対ミネラルウォーターのでかいボトルを片手にさげてるか、リュックの脇につっこんでますね。

気を取り直して旧市街の観光続行。ご存知の通りエストニアは10数年前まで旧ソ連でした。なぜか、こんなものが市の建物前にどかーんと建ってます。嫌がらせでしかないロシア正教の教会。

と、ここまできたところでフィルムを交換しようとカメラの蓋をあけようとしたら、なにか手ざわりが変。新しいフィルムを入れて蓋をしようとすると、上手く閉まらない。カメラが壊れた!!

『たまにしか使わないものや、長くしまっていたものを海外旅行だからだと言って出してくると、必ず不都合が起きるのだから、普段からよく使っているものを持っていくのが原則だ』と異国の地で夫に説教される。

この人はどうしてこういうとき一緒になっておろおろしたり、事後策を考えないで、いきなり自分だけ高みに登ろうとするんだろう。夫婦二人しかいないところでヒエラルキー争いをしてもしょうがないと思うが。いや、普段使ってたよ、これ。アンタより付き合い長いんじゃ。海外にも何回も連れてっとるわい。それに最近、写真撮るようなとこに連れてってもらっとらんのじゃ、ボケ。そういえばこのカメラ、地面に2回落としたの2回ともアンタじゃん。

とりあえず、近くの本屋に駆け込み、文具コーナーでガムテープを買って修理(このテープがまた旧共産国テイストで使いにくいったらありゃしない。う〜ん、よく考えたらタリンでの最初の買い物がこれかぁ)。

 
え〜、この時は修理状況がわからず、こわごわ撮ってたんですが、帰国して現像してみたら全然問題なかったです。凄いぞ日本製品。

ただ、この応急修理の状態で写真撮ってたら、どっかよその国の観光客のオバチャンに笑われました。ああっ、誤解しないで、日本製品が壊れ易いわけじゃないの、これ10ン年も使った奴なの。買った時9800円だったの。いらなくなった使い捨てカメラから抜き取った単三電池50本とフィルムが10本、オマケでついてきたの。

帰国してから、同じメーカーの、やはり単三電池で動く、APSじゃない普通のスチルカメラ買いました。ここのカメラ、日本で一番手に入りやすいフィルムがとても発色よく撮れるような気がするし(いや、色々使ったわけじゃないからわかんないですけど、使った範囲内でお値段との兼ね合がわりといいかなぁ、と思うんで)、今のところどんな田舎行っても単三電池とフィルム(APSじゃない普通のフィルム)は確実に手に入りますから。

で、新カメラ、機能アップでお値段据え置きでした(電池やフィルムのオマケはなかったが、それらが買えるぐらい、電器店のポイントで安くあげられたから、まぁ、よしとしよう)。今度、ためし撮りに出かける予定。

旧市街を出て、今日のホテルにチェックイン。

ここ、第二次世界大戦前から続くホテルで、旧ソ連時代から国賓級のお客様が泊まっていたらしく、ロビーにはヨーロッパ各国の王族や首相・大臣などの写真が。その中にはローリング・ストーンズご一行様、ゲイリー・ムーアご一行様の写真も。

室内はこんな感じ。

これも、なかなかの出来で夫お気に入りの一枚。実はあのテープぐるぐる巻きのカメラで撮ったもの。全然OKですね。

あとはこんな感じです。重厚さが歴史を感じさせます

  
浴室内にはスチームパイプと床暖房が稼動中。夏だというのにそれで暑くないという時点でさすが北の国というか。
この旅で初めてのバスタブ。金属製でホーロー引きです。叩くと『カーン』と澄んだ音がします。お湯も気持ち黄色っぽいです。でも、日本人なのでバスタブを堪能。

窓からの風景はこんな感じです。

トロリーバスと連結バスと路面電車が混じって走ってます。これもなんか旧共産圏テイストでグー。

日が暮れる前に、と、町外れに最近できたらしい大きなショッピングモールへ出かける。

ん〜、アメリカのモールとほとんど変わらない店構えと店揃え。中に入っているスーパーマーケットもアメリカと同じような感じ。工具コーナーでお父さんがうっとりとしているのも同じ。ただ値段がクローネ(エストニアの貨幣単位)とユーロの併記なのと、魚製品が豊富なのが、アメリカとちょっと違うところか。

ただし、このスーパー、会計ではユーロは使えません。あくまでもユーロ圏からのお客さん(というか買出しに来ているフィンランド人だな。観光客が来るようなロケーションじゃないし)への参考価格として掲示している模様。旧市街の観光客相手の土産物屋あたりでは『ユーロOK むしろユーロのほうが嬉しい』なところが多かったんですが。

そういえば、ヘルシンキで手に入れたミニ海外ツアーのパンフレットでは、スウェーデンあたりへの料金はユーロ建てなのに、サンクトペテルブルグ行きはなんと米ドル。どういうシステムでこうなっているのかは判らないんですが、ロシアではユーロへの信頼がまだ薄いのか、米ドルの強さがなせる技なのか。

ここのレジで、今回の旅行で初めて店員さんにぞんざいな扱いを受けました。それまではみんな、英語を喋れる親切な店員さん・係員さんばかりという、たるみきった旅行をしていたもので、このとき初めて『海外来てるんだぁ』と実感しました。あたし、海外シチュエーションマゾなのか?

で、このスーパーの雑誌コーナーで見かけたのがこれ。

ロシアのゲーム雑誌。それも、日本エロゲー特集号の模様。
うわー、テトリスの国(開発当時)もここまできたかぁ。というか『うろつき童子』、どこの国でも人気だなぁ。下線の部分は欄外に注釈が。
はい、こういう単語はキリル文字ではこう書きます。次のコミケでTシャツなど作られる方、ご参考までに。これでロシア語圏のお客様もゲットだ。

この雑誌のゲーム紹介コーナーに載ってたのが、このソフト。

多分、アメリカ製(3.5というのはフロッピーのサイズのことか? だとしたら、かなり古い。確かに画面の雰囲気も10年ぐらい前のテイスト)。いったい、しかし、この芸者さんはどういった方なんでしょう? 海女さんと妙な融合を果たしているような...『007は二度死ぬ』あたりの影響かなぁ。

そういえば、タリンの本屋さんには何冊か日本の本の翻訳物(ロシア語版)がありました。新しいところでは村上春樹(『レキシントンの幽霊』ともう一冊)から、古いのは谷崎潤一郎の『細雪』や井原西鶴、小泉八雲など。一番謎だったのは松本清張の小説の表紙に、どう見ても『母を背負って石段を昇る笹川良一』としか思えない絵がついていたこと。キリル文字が読めないのでどんな小説が収められているのか判らなかったのですが、もしかしたらそういうシーンがある作品なのかも。もしかして、砂の器?

で、やっぱりタリンのスーパーにもありました。

 
これで、全種類制覇かゲイシャチョコ。

そろそろお腹が空いてきた。でも、散々歩いて疲れていたので(中世の町は道が本当にわかりにくいのに、地図も見ずに歩くこちらも悪いが。それにしても石畳の道を歩くのは、本当に疲れます。タリン旧市街の人通りの多いところは歩道になかなか乗れないので車道を歩くことになるんですが、車道の石は隙間が大きくて、これがかなりきついです。タリン旧市街を散策しまくろうというかた、ぜひ歩きやすい靴で...しかし、この石畳を車もバンバン走っておりましたが、車の痛み激しいだろうなぁ)、投げやりになった私は、『もう、ファーストフードか、スーパーのポテチでいいよ』とすっかりぐれてしまいましたが、選択肢がモール内のフードコートか、先ほどのマクドしかなく、祭日のせいでモール内のフードコートは満席。ということで夫は『旧市街のレストランでおのぼりさん気分で食事しよう(旧市街のレストランはテラス席があるところが多く、おのぼりさん仲間をながめながら食事ができる)』と私を引きずり出す。

で、適当に選んだのがここ。

とりあえずタリン名物を食べてみるかね、と、注文を取りに来たお嬢さんに『どれが名物?』と尋ねたところ、英語のメニューを指しながら何種類か教えてくださった中から、夫は無難にリブ料理を選択。

私はガイドブックで読んだ、茹でた豚のゼリー寄せを食べてみたかったのですがどれだか判らず、たぶんこれだろう、と『なんとかのプディング』というのを選択。料理の説明の端に見える『BLACK』の単語に一抹の不安を覚えますが、昔、とあるファミレスで頼んで吐きそうなぐらい不味かったあんかけチャーハンと、中国旅行でうっかり食べた辛〜い玉ねぎの固まり以外、自分でチョイスしたものは外れたことが無い(他人に無理強いされたものは、嫌だったら食べない)私だ。絶対大丈夫。多分、大丈夫。

前菜に頼んだソーセージ盛り合わせはおいしい。よしよし。

で、メイン登場。『なんとかのプディング』だ。

うわっ、なにこれ。茄子? 本当にまっ黒くろだぁ〜。
とりあえずひとくち食べてみる。

不味くはないが、美味しくもない。というかクランベリーソースをかけても、味に特徴と言うものがない。まったく食欲をそそらない。たぶんこれは、血のソーセージって奴ではないだろうか?

なんか、塩か醤油かけたい感じなんですけど、コックさんの自信の表れか、テーブルには塩もコショウもない。

それにやはりこの見た目。真っ黒。テラス席の横の道を通り過ぎる人々が、『なんだあれは』みたいな顔でこっちを見る見る。

ああ、付け合せのじゃがいもは美味しいよ〜(今回の旅行、どこへ行ってもジャガイモが美味しかったです。業務用の冷凍のジャガイモでも美味しかったなぁ。なので『今度の旅行でなにが美味しかった?』と聞かれて『ジャガイモ』と答えてあきれられました。いや、ヘルシンキで食べたシシカバブサンドも、フライドチキンもおいしかったです。でも、いちばん美味しかったのはジャガイモ)。ザワークラウトも美味しい。けど、クミンシードはいらないよぅ(パンもクミンシード入りでちょっときついけど、パンはトーストしてあるのでOK)。

頑張って食べましたけど、半本足らずでギブアップ。あとでガイドブックを見ると、ここはエストニア料理の店で、『盛りが多い』と書いてありました。

ちなみに夫のはこれ。このリブ、見た目より骨が多いので、ちよっと物足りなかったそうです。

あと、タリンでもうひとつ失敗したのがミネラルウォーター。

ガイドブックに『ガス入りのもあるので注意』と書いてあったのですが、『炭酸ぐらいOK、OK』とよく見ずに買ったら、ガス入りの上、なんかしょっぱいのに当たって閉口しました。ロシア語もエストニア語もわからないんでラベルの絵で選ぶんですが、1勝1敗でした。エビアンだと確実なんですけど。エビアン高いんですよ。

日没が迫ってきたのでホテルに帰ることに。途中、旧市街の中の広場を通ったら、催し物の会場が。

実はこの日はエストニアの独立(もちろんソ連からの)記念日で、ここで式典が開かれるようです。タリン市民の皆様がわさわさ集まっていて、ホテルに帰る途中ずっと、すれ違う市民の皆様の列は途切れませんでした。

市民の皆様の奔流をかき分けて、やっとホテルに到着。

窓から見える黄昏時の風景も美しいです。
(つづく)
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